靡山の山懐にいだかれた上有木谷の地から発見されました。
仏像は榧(かや)材で作られ、丈約84センチメートル、膝幅約66センチメートル、胸厚21センチメートルの一木造の坐像で、頭部には小さな螺髪(らほつ)をつけた肉髻(にくけい)をしています。また張りのある顔は大きな眼と眉とにより強調され、静かな中にも力強い雰囲気がうかがわれます。
顔や造りには平安時代前期の彫刻様式を感じますが、全体的には穏やかで鼻が高く顎を出した横顔など宇佐地方の仏像の特徴が見られ、この木造如来型坐像は、11世紀頃の平安時代後期に造られた北部九州を代表する秀作の一つといえます。
また、木造如来型坐像は、古文書などから靡神社の神宮寺であった天徳山大行寺の本尊と思われ、平安時代終わりの末法思想、浄土思想の中で仏教文化が花咲いていた中で建立されたと言われています。