十一面観音菩薩坐像
福岡県指定文化財の十一面観音菩薩坐像は、清水寺の本堂に安置されています。ヒノキ材の寄木造りで、嘉禎四年(1238年)に作られました。
像の高さはおよそ108センチメートルです。全体は前後二材で、首は三道の下で分割でき、枘差しで固定されています。肩から腕の半ばまで、腕の半ばから手首まで、そして手首から先が、それぞれ一材でできています。膝は横に一材を寄せています。内側は大きくくりとられ、残った厚みはおよそ3センチメートルです。結い上げた髻の上部は、5枚の花びらのように開き、そこに、頂上仏面を挿しています。髻の根元も同じように地髪の上に開いていて、そこに5つの菩薩面が挿されています。あと5つの菩薩面は花びらの間の地髪に挿されています。
化仏は阿弥陀でその立像が、額の冠に浮き彫りされています。鬢髪が耳をわたり、耳たぶは紐のようになっています。額には白毫があり、目と首の三道は彫刻されています。
右腕は軽く肘を曲げ、手のひらを上に向けて右膝の上に置き、親指、中指、薬指を軽く折っています。左腕は肘を曲げて胸の前まであげ、右手と同じ指を軽く曲げ、その手で蓮華を持っています。左肩から右わき腹にかけて条帛をかけ、両肩にかけられた天衣は肘のあたりまでかかっています。腰には折り返し付きの裳を着け、右足を上にして結跏趺坐しています。
坐像の内側には、作成を依頼したと思われる人物の名前や、筑前地域の仏師の世襲名「佐田文蔵」、そのほか江戸時代の修復の記録などが墨で書かれています。
清水寺
黒丸にある清水寺は、海抜300メートルのところにあって、そこからは若宮盆地をはじめ、北九州まで望むことができます。
嘉永3年(1850年)6月には、寺の背後の西山の山崩れで、村人13人が犠牲となり、それ以来地元の人々によって供養が行なわれています。この山崩れで半分が埋まってしまったというイチョウの大木が、現在でも宮若市のシンボルとして、この寺のすぐそばに立っています。
天平年間に行基(ぎょうき)が開いたと伝えられているこの寺は、鞍手郡及び宮若市内最古の古刹であり、真言宗京都仁和寺の末寺で、筑前国33か所霊場の第25番札所になっています。