宮永八幡神社より発見されました。
7躯の神像のうち、5躯は、同八幡神社の本殿内木製の祠3個の中に収納されていました。この5躯は、胴体下部に虫喰いなどの破損もありますが、頭部の保存状態は良好で、平安時代末期頃(12世紀後半)に造立されたと思われます。
男神像は4躯で、頭部に冠をかぶり、2躯には笏をもち、他の1躯にもその痕跡があります。残りの1躯は、手に宝珠らしきものをもち、顔立ちは平安時代の仏像の特徴をもっていて女神像と思われます。
あとの2躯は、八幡神社境内ある伊串神社本殿の石祠に収納されていたものです。
2躯とも全体に摩滅し、材木の木目が露呈していますが、1躯は、頭部に冠があり男神像と思われます。造立年代は、不明ですが八幡神社の神像とそれほどの差はないと思われます。
また、7躯とも材木の木芯が、仏像と違って本来の中心の位置にないことから、神木を材質に使ったと思われます。