平成14年、宮永の民家から神楽面10面が収納された神楽面箱が発見されました。安政6年(1859年)に作られたもので、制作年代や制作者、制作にかかわった村人名もわかることなどから、宮若市の有形民俗文化財に指定されています。
箱の大きさは高さ50.5センチメートル、横40.5センチメートル、奥行き25センチメートルで、箱の表面には制作年代などが墨書されています。
神楽面は、前駆、鹿島神、天鈿女命、猿田彦、事代主命、手力雄命、大己貴、四神の青、白、黒で、赤がありません。大きさは平均で縦19センチメートル、横17センチメートルで、すべての面の裏側に「宮永」と線刻され、墨が塗ってあります。そのほか「中宮永」と墨書されていて、「中」は中村のことで、後世に書き加えられたものです。
平の神楽面
平の神楽面は大汝が2面で、元禄2年(1689年)に作られています。表の塗りは赤と黒で、黒は口を閉じ、赤は開いています。
下の日吉神社には八面残されています。神楽に使われたすり鉦が、文久元年(1861年)に湯原村の氏子によって寄進されているため、面もこの時期のものと思われます。
山口八幡宮の神楽面は、二つの箱に収納されていて、箱書きには「十面」となっていますが、11面あります。各面の裏には、箱書きと同様の神の名と、所有者である「小方」の神職名が墨書してあります。
宮若市を含む旧鞍手郡は江戸時代から郡内の社家によって神楽が奉納されていました。平の神楽面が元禄年間に作られたことからしても、江戸時代初めごろから神楽が舞われていたのでしょう。