若宮盆地の中央部、犬鳴川と黒丸川および山口川との合流点を望む段丘の突端に位置する、鞍手地区唯一の前方後円墳です。後円部の半ばは大正元年の興玉神社建設のため削平されていますが、他はよく旧態をとどめています。
古墳の長さは復元すると62.4メートル、後円部直径38.4メートル、前方部幅28.8メートルです。後円部の上は平坦になっています。内部構造は不明で、「剣塚三所宮祭礼再興記」によれば、過去に石室が破壊された可能性があります。また、『筑前國續風土記附録』には、墳丘裾部に露出する埴輪までが描かれた墳丘の写生図があり、『筑前國續風土記拾遺』の草稿には、「剱森」の頂に「周焼(すやき)の壷」として円筒埴輪の略 図と書き込みがあります。
古墳は盆地の主要な三河川の合流点にあり、どの川の流域からも望むことができる立地にあることから、剣塚古墳に葬られた人物のよって立つところが単河川流域の小平野ではなく、ひろく盆地全体であることを示すと思われます。前方後円墳という墳形は築造時任意に採用できるものではなく、地域を連ねる広範な政治連合のなかでの身分の反映とされていることから、剣塚古墳はこの時期に若宮盆地をはじめて統合した首長の墓と考えられます。